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klarer-himmel13's diary

(旧)図書館の中では走らないでください!から

読書日記その1―主に百科事典の話

雑記

久しぶりにブログを書こうとしたら、はてなブログtwitterと連携していました。試験的に連携させてみます。
もうひとつ、ブログに読書日記を加えてみます。第一回はピーター バーク著、井山 弘幸・城戸 淳訳 「知識の社会史」です。

知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか

知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか


目次から

第一章 知識の社会学と歴史―序
第二章 知識を生業とする―ヨーロッパの<知識人>
第三章 知識を確立する―古い機関と新しい機関
第四章 知識を位置づける―中心と周縁
第五章 知識を分類する―カリキュラム・図書館・百科事典
第六章 知識を管理する―教会と国家
第七章 知識を売る―市場と出版
第八章 知識を獲得する―読者の役割
第九章 知識を信じることと疑うこと―終章

キーワード全体はちょっとボリュームが大きすぎたので、図書館つながりとして、第五章と第七章を主に取り上げてみます。

知識の分類は「土地」「樹とその枝」から、「体系」「カリキュラム」という様々なメタファーであらわされる。そしてその体系化され、分類された知識は、大学という組織を通じて広がり再編成を繰り返していきました。それを支えたのがカリキュラム、図書館、百科事典です。図書館について引用すると、

諸学問分野の伝統的な体系がもつ「自然」な見かけは、三脚台の二番目の足にあたるものによって、つまり図書館における書籍の配列の仕方によって、強められた。ゲスナーの言った「本の秩序(ordo librorum)」が大学のカリキュラムの秩序を再現していたのは、まったく当然のことであった。この書物の秩序はまた、分類の体系を物質的、物理的、空間的なものにすることで、この体系を支えていたものであり、これは現在もそうである。(p.141-142)

ちなみに、最初に出版された書誌目録は、1945年にコンラート・ゲスナーによって編集されたもので、3,000人の著者による本を記載していたそうだ。主題分類はその順序によって上下関係が決まっていました。ただし、そこには多くの「その他さまざま」が含まれいました。

収集物を配列するための案内書の著者ザムエル・クウィッヒェベルクは、「その他さまざま」のカテゴリーとして「文献学」(philology)という言葉を使って、そのなかに戦争や建築を含めた。フランス人書誌学者ラ・クロアは、七つのカテゴリーのうちの一つとして「雑録」(M〓langes)というカテゴリーを使って、そのなかに回顧録、気晴らしの読み物、楽園、煉獄、地獄、世界の終わり、を含めた。アルステートは『百科事典』(1630年)のなかに、大きな「その他さまざま」の部分(forragines)をつくって、そこに歴史と記憶術を含めた。

百科事典について、

百科事典とその諸カテゴリーは、ある知識群を、さらにはある世界観(つまるところ、中世以来、世界は一冊の書物として記述されたのだ)を、表現あるいは具象化したものだと考えてよい。(p.144)

百科事典の編纂者たちは、伝統的なカテゴリー体系を変更することに対して、徐々に大胆になっていった。(中略)しかしながら、百科事典の編成におけるはるかに巨大な変化が、十七世紀初頭から現われはじめた。すなわちアルファベット順である。アルファベット順はすでに中世においても知られていた。十七世紀の新しい点は、知識を秩序づけるこの方法が、分類における下位の補助的な方式というより、むしろ第一の主要な方式になった点である。(p.166-167)

アルファベット順の使用は、位階秩序的で有機的構造をもった世界という世界観から、個人主義的で平等主義的な世界観への転換を、反映もし、助長もしていた。(p.174)

百科事典をアルファベット順配列に改めたのは1674年に発行された『大歴史辞典』Grand dictionnaire historiqueで、編者はフランスの僧モレリであるそうです。それまで宗教的/政治的な秩序に従い、記述をした分類を考えると大きな転換点になっています。

ところで、印刷産業は知識の普及に大きく影響した。量の増加・普及ルートの拡大という技術的/システム的進歩、そして本書のタイトルからも読み取れるが知識の商品化が起こったのはもちろん、それのみならず

印刷術がもたらした明白な、しかし意味深い帰結の一つは、知識を広める過程に、つまり「啓蒙の商品化」に、起業家がより密接に関わるようになったことである。(p.241)

ただし、本書での指摘されているが知識を売るという観念は、古代ギリシアの「剽窃」(plagiarius)の語源から、ルネサンス時代の発明の先取権に関わる論争、17,8世紀の聴衆への有料の公開講義、知的財産の発生まで遡ることができます。気ロックに残る最初の本の著作権は、1486年に人文主義者のマルカントニオ・サベリーコのヴェネチア史に与えられたそうです。。
ただし、知識の商品化は単に「本の商業化」のなかにようやく出来ない。それはもう少し大きな消費社会に位置づけている。それは、

(略)近代初期のヨーロッパにおいては。認知は、印刷を経由して生産の方にさらに緊密に結びついていたのであり、これが結果として、知識のより開かれた体系を導いた。印刷術の発明は、知識を公共のものにしようという関心をもっと新しい社会集団を生みだすのに効果的だった。これは、知識が共有されたのはただ経済的理由のみに起因する、ということを意味するのではない。(中略)政治的な対抗関係の結果として、ある政府の秘密が別の政府に漏れることもあった。それでもやはり、情報における市場の役割の重要性は、近代初期を通じて大きくなっていった。(p.266-267)

体系化され、商品化された知識は獲得するという段階に入ります。もう少し、引用してまとめます。

「知識の地理学」という言い方をする場合、二つのレベルを区別することが重要である。ミクロ・レベルでは「知識の府」が存在し、(中略)修道院、大学、図書館そして病院(ニュースについては、酒場や理髪店も含まれる)などの「府」に、例えば実験所、画廊、書店、書斎、階段式解剖学教室、研究室そして珈琲店が新たに加わった(略)(p.88)

ちなみに、マクロ・レベルは都市が役割を果たしている。「知識の府」としてたくさんのものがあった。本書では色々な比喩を使って図書館や司書が表現されていた。
また、近代初期のヨーロッパの諸国家は印刷報道を検閲する制度を組織したが、

情報を管理することは容易ではなかった。共有財産と「国家の秘密」とのあいだの境界線はしばしば踏み越えられて、大量の政治情報が、公式にも非公式にも、普及していたのである。情報は秘匿にするよりも広めるほうが効果的な政治の武器になると、主張されることも時にはあった。(p.218)

長い引用はここまでです。
ここで描かれていることを無理に現代に繋げる必要はありませんが、知識を売るとはタイムリーな話題のように聞こえます。そしてそれは、共有財産の問題も一緒に孕んでいることは、本書でも指摘されていました。それは、無料/有料か、公開か秘匿かという問題よりむしろ、「だれと共有なのか」という質問が投げかけられています。(P.231)
百科事典は一度アルファベット順という「平等な」体系をとるようになり、確かにそれはとても合理的な方法のように思えるのですが、例えばキーワード化できないけれど知りたい、という要求に対して、項目に上下関係があるある種の「不平等な百科事典」や「不平等な参考図書」もでてきても面白いだろうなと思います。
例えば自分がまとめたノートだったり、自分の/誰かのソーシャルブックマークだったり、まとめサイトであったり、自分の読書記録だったり、メールの履歴だったりするのかもしれません。