klarer-himmel13's diary

(旧)図書館の中では走らないでください!から

『次の本へ』連続トーク ―古川日出男X松原隆一郎 《神戸と東北──2つの被災地を考える本の話》

日時:2015年4月26日
場所:古本屋ワールドエンズ・ガーデン 
登壇:古川日出男氏、松原隆一郎

d.hatena.ne.jp

小説家と社会経済学者。福島と神戸。東日本大震災阪神・淡路大震災をクロスさせた2時間。

神戸に新しく誕生した苦楽堂さんから昨年、出版された『次の本へ』。84名が1冊の本を紹介し、次の本を紹介(なので合計2冊)を紹介するという企画の本。

次の本へ

次の本へ

http://kurakudo.co.jp/

登壇者のお二人は上記の執筆者である。
トークの内容を書き起こすというよりも、簡単なメモを。

お話の背骨として「まち」と「(記憶の)継承」があったように感じた。最初にはじめて神戸に来たという古川さんから、神戸の印象が語られる。山と海、3つの私鉄、エキゾチックなものとの混在…etc。

冬の桃―神戸・続神戸・俳愚伝 (1977年)

冬の桃―神戸・続神戸・俳愚伝 (1977年)


それを受けて神戸出身の松原さんが語る、大正時代(お祖父様の物語)、1970年代、阪神・淡路大震災、震災後。幼い日々に過ごした怪しさとクールさが同居していたという話。そして神戸を離れ毎年のお墓参りで「定点観測」したなかで感じた、怪しさ(いびつさ)を失って(復興の過程で残さなかった)いく街。

ここで、東北の復興はどうあるべきかという話題に移る。例えば震災遺構。誰のために残すのかという問題がある。地元の人にとっては怖くて歪なものである震災遺構を残すという提案は、時として人々を深く傷つける。その一方で、神戸の街には震災遺構と呼べるものは殆ど無い。人と防災未来センターや北淡震災記念公園における野島断層、神戸港震災メモリアルパークなどはあるものの、地震の規模や範囲からするとごくごく少ない。また、原子力発電所をどうすべきか。原子力発電に関わる技術をどうやって継承するのか。

お話のなかで「イメージ」というキーワードが何度も使われていた。例えば明治維新について。日本の近代化は、その実態(現実問題としてたくさんの血が流れた)とは別に、政治的、戦略的に良い・ポジティブなイメージが持たれている。例えば東京オリンピック、例えば原子力発電所、例えば復興事業…などなど。

政治的、戦略的に良い・ポジティブなイメージ、はそのまま、まちづくりにスライドして語ることもできる。地方都市の駅前がどことなく似てしまう、怖くていびつなものが再開発から抜け落ちてしまう、クリーンなイメージで蓋をされてしまった街。

「イメージと歪さ」と同じようなアナロジーとして登場した「数字と文学」。イメージを戦略的に使うことの壊さや力に対向するのは「個人の思い」だと古川氏は述べる。文学はそこに働きかけると。古川氏は「考え方を変えさせたら文学の勝ちだ(価値だ?)」とも。

街の話に戻す。古い景色がなくなっていくことを決して否定的にとらえるものではない。復興は構成員をリセットさせるという、両面を持つ。大切なのは、明るい面と暗い面を併せ飲むこと。松原氏「お弔いを上手にしてほしい」

個人的に「継承の仕方」が印象に残った。震災遺構、語り部、文学…などなど残し方は様々であるが、古川氏が「いびつであることで人々の関心を引くことができる」とおっしゃっていたのが印象に残った。悲しみは誰にも共感されない個人的なものだからこそ、という指摘は「保存し残すこと、継承すること」の難しさとだからこそやるべきなのかなぁと。他にも小説家として、言葉の力についての指摘も。近刊としてこのような本が。

女たち三百人の裏切りの書

女たち三百人の裏切りの書

来年には平家物語も予定されている。1000年の時をつなぐことができることば。

松原氏は昨年、このような著書を出されている。お祖父様の蔵書を保存するための書庫を建てる、という記録と家族の物語。蔵書を残す、仏壇をしつらえる、ルーツをたどることを通じて、家族の物語を継承している。

お話の途中で、参加者に向かって「神戸の復興は完了していますか?」という問いかけがされた。質疑応答で発言された方から「街の復旧は終わったかもしれないが、負の遺産が残っている」というお返事があったり。

普段は残すという行為について、素朴に考えている所があるので、そこを問いなおす内容が新鮮だった。