『アーカイブ立国宣言』を読んで。アーカイブについての関心ごと
久しぶりに、読んだ文献(本)のことを書いてみようと思う。
- 作者: 「アーカイブ立国宣言」編集委員会
- 出版社/メーカー: ポット出版
- 発売日: 2014/11/07
- メディア: Kindle版
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あえてのKindle版を紹介。価格も若干お安くなっている。事例にリンクが貼ってあったので便利だった。
この本はさまざまな分野での「アーカイブ」に携わっている著者から寄せられた事例紹介および対談、議論で構成されている。
ひとつのきっかけとして、2012年に設立された文化資源戦略会議からお話はスタートしている。この組織はの概要は以下のとおりである。
日本の豊富で多様な文化資源の整備と活用について、国家戦略的観点から論議し、政策提言することを目的に2012年に設立。各種文化資源専門家、研究者、行政担当者などの有志から成る官民横断的*1。
文化資源戦略会議とメンバーの著書・編集したものがこの『アーカイブ立国宣言』である。
ここで何が宣言されているかは第一章で述べられている。
- 文化資源の蓄積と活用
- デジタルアーカイブの拡大に向けて
これらを踏まえて、デジタルアーカイブ振興政策の確立を提言している。
- 国立デジタルアーカイブ・センター(NDAC)の設立
- デジタルアーカイブを支える人材の育成
- 文化資源デジタルアーカイブのオープンデータ化
- 抜本的な孤児作品対策
なぜこれほどアーカイブが、デジタルアーカイブが注目されるようになったかにはいくつかの理由がある。グローバル化における日本の立ち位置、そして東京オリンピック、デジタル技術の革新と広がり、それらによる情報量・文化量の増加(にも関わらずデジタルでの保存・編集・活用の立ち遅れ)などがあげられている。
この本では具体的な目標として「国立デジタルアーカイブ・センター(NDAC)の設立」が掲げられたことからも分かるように、政策としてのデジタルアーカイブを推進している。この本が生まれた母胎をを考えると不思議ではない。「国内の諸デジタルアーカイブを支え、統合的利用を可能にする*2」ことを第一義的目的とする。その他に有すべき10大機能を定義する。
そして人材の育成、技術的側面の支援(オープンデータ化)、法制度の改革(孤児作品)が、NDACを支える形となっている。
このNDACのモデルになっているのは、Europeanaや米国デジタル図書館(Digital Public Library of America)などがあげられている。EUでは2003年にすでに法制度改革が始まっており、「公共セクター情報の再利用指令」の大希望な改正を採択し、オープンデータ義務を美術館・博物館・図書館・アーカイブ施設までに拡大している*3
第二章での鼎談では、デジタルアーカイブが盛んになった背景をより具体的に知ることができる。出発は東京オリンピック。
そこから文化とはなにか、アーカイブとは、公共財とはなにかという議論が進む。そして
御厨:(前略)個人的な記録はどんどん蓄積されているのに、それらが相互につながっていないことが、日本のアーカイブの一番大きな問題点だと思うんです*4。
オリンピックと一緒に東日本大震災のアーカイブに触れられている。個人の記録をなぜ政策としてアーカイブするの…?と思うが、政策としてアーカイブの必要な記録が個人の記録に無いとは限らないからだと思う。何を「政策としてのアーカイブとするのか」という問題は別にあるとは思うけれど。
もうひとつ「政策としてのアーカイブ」の必要性としては、孤児作品があげられる。著者が分からなければ、何もできないという現実はレファレンス現場でもよく出会う。その度に困っている。孤児作品対策は、共有と活用にもつながる話だ。いいかえれば、保存と同じくらい(もしかするとそれ以上に)問題なのは、「存在しても一部の限られた人以外は使えない文化財が多い」ということで、このような課題を解決する手段として、政策としてのデジタルアーカイブ、つまり「文化財特区」という提案がなされてる。
政策としてのアーカイブと聞いて、最近の事例としては神戸市の阪神・淡路大震災「1.17の記録」である。これは市が保有するデータ(阪神・淡路大震災の記録写真)をクリエイティブ・コモンズ・ライセンス 表示2.1 日本(CC BY 2.1 JP)のもとに提供されている *5
阪神・淡路大震災「1.17の記録」
第三章以降では具体的な事例が紹介されている。たとえば、東京国際マンガミュージアム、立命館大学ゲーム研究センター、311まるごとアーカイブス、日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアム、東京国立近代美術館フィルムセンター、NHKアーカイブス、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」、小布施町立図書館「まちとしょテラソ」、札幌市中央図書館、青空図書館、京都服飾文化研究財団デジタルアーカイブ、Getty Images、Flickr、ニューヨーク公共図書館パフォーマンスアーツ図書館。
といっても、これらの取り組みは決して同じ方向を向いているわけではない、デジタルアーカイブは今後の課題だったり、特にデジタル部分については方向性がかなり異なっているように思えた。
事例を読みながら感じたことは、国立国会図書館への期待の高さだ。いくつかの事例紹介で言及されているし、実際に納本制度、「著作権法の一部を改正する法律」(平成24年6月27日公布、平成25年1月1日施行)、送信サービス、れきおん、近代デジタルライブラリー…などなど。そして一方で「それ以外の図書館には何が期待されているのだろう?」という疑問も。
いくつか事例をピックアップする。まちとしょテラソのアーカイブの例は、そこにある町立図書館だからこそ、できる事例なのかもしれな。本の中で「文化財を集めることだけがアーカイブではありません*6」という一文のとおり、「小布施人百選」など町の生き様を記録していった。もうひとつまちとしょテラソの箇所でいいなと思ったのは、「アーカイブをエンターテイメントにする」という箇所。「町の人同士が交流するのはもちろん、町の外に向かっても交流できる「道具としてのアーカイブ」*7」
もうひとつ。音楽レコードについて。ここで強調されていたのはデジタル化されていないものにはリミットが迫ってきている、ということである。これは活用以前にこの世から消えてしまうという、より切迫した状態だ。「一度でもCD化されていたり、デジタル化されていれば、一般の好事家の方たちが勝手にアーカイブしてくださるじゃないか*8」。「勝手にアーカイブ」の是非はあるにせよ、このようにとらえることもできると面白いと思う。
個人的にNYPLのパフォーミングアーツ図書館がとても気になった。記録メディアが多岐に渡ること、それらがデジタル化された時の強みなどを読みながら考えていた。
また、ひとつの機関ではなくそのジャンルのアーカイブ事情も紹介された。日本のアニメ、音楽レコード、書籍…。その他、海外の事例(Amerian Memory、Gallica、Digital New Zealand、NDLサーチ、Deutsch Digital Bibliothek…)なども。
個人的には記録の集合体は、いつか誰かに使われるために存在していると思っている。それが実際に使われるかどうか、というよりも、使われる可能性をその中に宿しているものがアーカイブなのかなと。もちろん一つ一つの記録や文化財は、特徴や背景が異なる。ただ、ある程度のまとまった量になると、制度がなければ使うことはとても困難だ。そういった点で政策としてのアーカイブについて今後も注目していこうと思う。かつ自分にも無関係ではないのだろうなぁと。
同時にこれはデジタルアーカイブの一つの側面である。鼎談で少し触れられた公共財と私財の関係。個人の記録を共有化する仕組みにもう少し、踏み込んで知りたかった。単純に私財側の意識の問題ではないと思うから。
少し前になるがgaccoでこのような講義が開講されていた。
ツバル・ビジュアライゼーションプロジェクト、ナガサキ・アーカイブ、ヒロシマ・アーカイブ、東日本大震災アーカイブなどを手がけた方の講義である。ここでのアーカイブは既存の記録をどのように見せるか、アーカイブの構築にどうやってどんな人を巻き込むか(記憶のコミュニティ)ということが重要視されている。アーカイブの別の側面。
データを紡いで社会につなぐ デジタルアーカイブのつくり方 (講談社現代新書)
- 作者: 渡邉英徳
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/11/15
- メディア: Kindle版
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講義の本筋は書籍としても刊行されている。